(うちなぁ点描 第309回 週間かふう Vol.365  2012年9月28日 掲載)

文と絵 平良 和繁 TAIRA KAZUSHIGE

ライト作品 ニューヨークのグッケンハイム美術館のスケッチ

まるで貝の様な外観ですが、館内は螺旋状の通路に作品を展示しています。

もしかしたら、外観の丸みが、亀甲墓と重なって見えたのかもしれません。

亀甲墓のスケッチ。

この甲羅の形状が母の胎内をイメージさせます。

今夏は台風の当たり年なのか、早い時期から台風が発生し、天気に振り回されています。とはいえ、『台風銀座』とされる沖縄だけに慣れっこになっている「うちなーんちゅ」ですが、お盆の時期は避けてもらいたいと嘆く声も聞かれました。台風が近づいては、お盆の準備やお墓の掃除もはかどらないので『台風よ、避けてくれ』と、いつもと違う願い事をする人も多かったのではないでしょうか。

お盆は祖先への思いをめぐらせ、仏壇やお墓に手を合わせますが、沖縄のお墓で独特な形をした亀甲墓は目を引きます。なぜかこの墓を見ると、20世紀における、もっとも偉大な建築家の一人、「フランク・ロイド・ライト」のことを思い出します。

その理由には、彼の生い立ちから話す必要があるでしょう。ライトは1860年代後半に、牧師の父ウィリアム・ライトと母アンナとの第一子として、アメリカで生まれました。両親は早くに離婚し、幼かったライトは母アンナが引き取りました。母アンナは「ライトは将来、デザイナー(建築家)になります」と言い、ドイツの教育学者で幼児教育の祖と言われる、フレーベルが考案した玩具「恩物」(gabe)をライトに与え、英才教育を受けさせました。そこで彼は基礎的幾何学を叩き込まれ、建築家、デザイナーへの道を歩み始めました。

この頃の経験が彼の人生に大きな影響を与え、とりわけ母から受けた影響は大きかったと学生時代に講義で先生に教わったのを覚えています。 

彼は自分の建築を「有機的建築」と定義づけ、数々の作品を生み出しました。この有機的建築はさまざまに議論され続けていますが、多くのライト関係の本を読み解くと「自然との調和」「自然との融合」の意味にとらえられているようです。この有機的建築は自然だけではなく、「人と人=家族」にも当てはめて、「有機体=生き物や自然との調和」を第一に考え建築をつくりあげることが、彼の生涯の信念になったのだと私は感じました。そこには母から受けた愛情が大きく反映され、ライトの母への愛(母想愛)が、『建築』へと形作られたようにも見えました。 

沖縄の亀甲墓も、自然の琉球石灰岩の斜面を利用し、掘り込んで墓室を造る形式等があり、まさに「自然の調和」=有機的建築であると思います。また、亀の甲羅状の屋根形状が母の胎内を連想させ、母の胎内から生まれ、死を迎えて、母の体内(温もり)へ戻る、母想愛を想像しました。 

ライトの有機的建築と沖縄の亀甲墓から母想愛を連想し、沖縄とアメリカという異なる場であっても、生を受けた者( 有機体)は、母想愛によって導かれていることを、この形(建築)から感じ取るこができました。 

ライトの母への愛情は大きく、彼の身に満ち溢れていたと思います。また、ライトの生涯はまさに波乱に満ち、彼は生涯に4人の妻をめとりました。もしかしたら彼女達に母想愛を重ね合わせていたのかもしれません。