(うちなぁ点描 第286回 週間かふう Vol.336  2012年3月9日 掲載)

文と絵 平良 和繁 TAIRA KAZUSHIGE

 先日、本棚を整理していると、美術展のカタログを見つけ、以前よく展覧会に行った事を思い出し、しばらく見入ってしまいました。

 最近は美術展に出掛けることも少なくなったので、久しぶりに行ってみようと美術館の催しをインターネットで検索してみると、沖縄県立博物館で2012年1月末から開催されていた「琉球と袋中上人(タイチュウショウニン) エイサーの起源をたどる」の展覧会に興味を持ちました。

 なぜなら、ちょうど袋中上人が建立した檀王法林寺がある京都を含めて、関西旅行を計画していたので、エイサーの起源を確かめたく、展覧会とお寺に足を運ぶことにしました。

 まず、袋中上人のことを調べてみると、浄土宗の僧侶で、経典を得るために中国(明王朝)へ渡る事を志しますが、その頃、豊臣秀吉が朝鮮出兵により、日中間の国交が閉ざされていて入国を許可されず、やむなく明との親交が深い琉球に1603年から約3年間滞在したそうです。当時の琉球国王・尚寧王は上人と親交が深く、上人のために桂林寺(現那覇市松山公園周辺が跡地)を建立され、上人はその寺で浄土宗の布教をし、上人の故郷福島の「じゃんがら念仏踊り」さながらの念仏踊りも広めました。のちに琉球独自の三線や音楽に合わせて念仏を唱えて踊ったのが、今日あるエイサーの起源とされています。

 展覧会で上映されていた国場念仏エイサーやエイサー祭りで踊るじゃんがら念仏踊りを見ていると、なるほどエイサーの起源は、ここにあると感じました。

 展覧会鑑賞の数日後に、関西旅行に出発。京都に入り、上人が建立した檀王法林寺へと向かいました。境内を散策していると、どこにでもあるお寺だなあと思いましたが、なにげなくお寺の屋根を見上げてみると、なんとシーサーが鎮座しているのを発見! ここ法林寺と沖縄との結びつきを感じることができました。現在、法林寺では時折、境内でエイサーなどの沖縄の催しが行われており、沖縄と京都の交流の場となっています。

 エイサーの起源に関係ある場所を訪ね終わり、引き続き関西旅行をし、神戸観光へと向かいました。前から見たかった、新長田駅前の鉄人28号を見に出発。高さ18mの等身大鉄人に圧倒され、童心に返り携帯写メを撮りまくり、ふと周辺案内やパンフレット等を見ていると、鉄人の周りでエイサーを踊り、皆でカチャーシー(?)を踊っている写真をみつけました。それはエイサー団を招いての沖縄のイベントが鉄人前広場で行われた写真で、エイサーとは無関係と思われる場所での発見に驚きを隠せませんでした。

 沖縄では、地理的条件も重なり、外来文化の影響を受けて様々な物を柔軟に取入れ、独自の文化を造り発展してきました。念仏踊りがエイサーへと発展し、沖縄と京都、神戸の交流の懸け橋になりました。  このように沖縄特有の文化が発展し、他地域との、よりよい交流の場が増えていくのを、今回の旅行で実感することができました。