(うちなぁ点描 Vol317  2012年11月23日 掲載)

文と絵 平良 和繁 TAIRA KAZUSHIGE

大学時代の課題「場所の記憶」の当時のイメージスケッチです。

メインの建築物は弁ヶ嶽と首里城を結ぶ直線上を計画地とし、御嶽周りの石垣をイメージして、外周を花ブロックで積み、人工御嶽(神木を中心とした空間)を計画しました。

事務所で仕事に必要な資料を調べていると、大学時代の先生である建築家、故・毛綱毅曠氏の講演会冊子が目に止まりました。確かこの冊子は非売品で、大学の先生の部屋の本棚に何冊かあったものを、同級生と一緒に「ちょっと読ませてください」と頼んだところ、「持って行きなさい」と言われ、同級生と一冊ずついただいたものでした。

ページをめくると当時の事を思い出し、しばし懐かしき思いに浸っていました。 一言で毛綱毅曠先生の印象を言うと、「変! 変わり者?」。中にはSF、オカルト建築家と言う人もいるほどで、仏教の曼荼羅の絵(パネル)などを発表し、宗教的、宇宙論、哲学などにも精通し、初期の代表作である反住器(母親の家)の作品や、夢のお告げで自分の戸籍改名までするところをみても、変わり者と言われるのもうなずけました。
 先生は風水も熟知しており、その講義の中で、風水を通して沖縄の風土や建築などを紹介した本人出演のテレビ番組(NHKの番組だったと記憶していますが)のビデオを見ました。今思えば、建築の授業を通して沖縄の風水や建築などに接したのは、この時が初めてでした。北海道出身の先生から沖縄の風水や建築などを学ぶとは思いもしませんでした。
 その講義とビデオの中で、現在のかたちとなった首里城は風水に深く関係していると説明されていました。首里城は、東西南北に四神獣(中国神話に登場する四方向を守る聖獣のこと)に見立てた山などの形状が確認できる吉地(四神相応の地)に位置します。首里城は西に面していますので、城から西側を見て、左が南、右側が北となり、風水説上の左青龍・右白虎とされる考えから、青龍の山として、小禄、豊見城連峰とし、白虎として、西海岸の読谷、北谷山の諸峰が起状して守護神となり、首里城後方にある御嶽・弁ヶ嶽が玄武、遥か東シナ海に浮かぶ慶良間島を朱雀として、琉球列島全域をみすえた風水建築となっていることを講義で教わりました。

また玄武にあたる弁ヶ嶽は、琉球王国時代に神の島と言われる聖地・久高島への国王の遥拝所としても重要な場所であり、中国から伝わった風水の思想的にも、沖縄の聖域としても重要な場所であることが分かりました。
 この授業の後に、学校の制作で「場所の記憶」をテーマにした課題が出され、風水と沖縄の聖域の両方を兼ね備えた、弁ヶ嶽の自然の聖域(峰全体がご神体)と人工的に造られた聖域の建築(空間)を提案し、自然と人工の御嶽を対比させて、新たに首里城(琉球全体)を守護する場として提案をしたのを思い出しました。
 このように沖縄の建築の良さを最初に認識できたのは、少なからず先生の講義に影響を受けたのは間違いありません。2001年に先生は他界されましたが、先生の目指した建築とは違えども、多少なりともその影響を受けて、この沖縄で建築を生業としている私は、ささやかながらもその意思を受け継いでいると思います。
 私はこの『うちなあ点描』で、建築と沖縄のことを書く機会を与えてもらっていますが、これを読んでいただく方々、特に若人に建築の良さ、面白さが少しでも伝えられるならば、先生と同じように建築にかかわる者として、とても幸せです。私は先生が今も変わらず、自分の意思を貫き、”変わり者”ぶりを発揮している姿を思い浮かべています。