(うちなぁ点描 第282回 週間かふう Vol.332  2012年2月10日 掲載)

文と絵 平良 和繁 TAIRA KAZUSHIGE

 私は学生時代も含めて約十三年間、東京で暮らしていました。

 上京して間もない頃、知り合いになる本土の人(ないちゃー)に、よく「沖縄の海はとても綺麗ね」と言われました。会う人、会う人に耳にタコができるかと思うくらい聞かされ続けたので、「沖縄=綺麗な海だけなのか!?」と思い、頭にきたのか『海だけを見ろ!』と言わんばかりの『レジデンス(邸宅・官邸)』建築を学生時代に計画し提案したのを、今でもよく覚えています。

 その計画の際、故郷沖縄の事を調べていくうち、よく目にした『ニライカナイ』の言葉に興味を持ち、どのようにして語り継がれてきたのか調べてみる事にしました。とくに語源について注目し、諸説ある中で一番、印象に残った語源説を紹介します。

 『ニライカナイ』には『理想郷、神々が住む国、海の彼方の楽園、根元の国』などの意味があるとされ、最も古い語源には『ミルヤ・カナヤ』という説があるそうです。ミルヤ=土の屋の意味、カナヤ=太陽の屋の意味となり、『ミルヤ・カナヤ』=太陽の居所の意味があるとされています。

 今昔、沖縄では太陽が東から上がる東を東(あがり)といい、太陽が沈む西を西(いり)と表現したように、東から太陽が東(あがり)生まれ、太陽が沈む西(いり)から死を想像したと考え、また次の日には、東の方(海の彼方)の太陽の居所(穴)から新しく生まれ、再生し太陽が上る。この太陽の一日の流れを『生と死』とを結びつけて生命のエネルギー、生命の再生を想像したと考えられています。まさにそこには『生命の源』と言うべき『場所』があると私は感じました。

 この語源説も含めて、身近な存在である海に囲まれている島国、沖縄だからこそ、古くから本土にも広まっていたとされる海の彼方の常世の国、理想郷の思想である『ニライカナイ』が今も語り継がれいるのではないかと思います。

 我々の祖先の沖縄人(うちなーんちゅ)は周囲を海に囲まれたこの島で、海の静かな波音を聞きながら、時には荒れ狂う海を恐れながら、水平線を眺め、海の彼方の『理想郷』に憧れを抱き続けたのでしょう。この沖縄人の想いから『ミルヤ・カナヤ=ニライカナイ』の言葉が生まれたのだと感じます。

 ただ単に「海が綺麗」という外面的なものだけではなく、沖縄の地に根ざした眼で、沖縄の海を見れば、さらに沖縄の海(地)を知ることができるでしょう。私を含めた沖縄人も海の彼方を眺め、祖先に想いを馳せ、語源説のように生命を育んで、この沖縄の地に根ざして、生きていきたいものです。