(うちなぁ点描 Vol313  2012年10月26日 掲載)

文と絵 平良 和繁 TAIRA KAZUSHIGE

神アシャギは祭祀を行う神聖な場所とされています。

バチカン市国にあるカトリック教会の総本山、サンピエトロ大聖堂前の所とされています。サンピエトロ広場平面図で、楕円形の広場が特徴。周りを回廊で囲まれた大きな広場です

私が学生の頃にヨーロッパ旅行とイタリア留学をしたことは、以前にもお話ししましたが、その際、イタリアでは十数都市を訪れました。イタリアは共和国で、ファッションで有名なミラノや運河の都ベネチアなどの都市は、元々は独立した国家で、現在でもイタリア各都市は、それぞれ特有の持ち味を発揮しています。いろいろな都市の雰囲気を楽しみながら、旅をしていると、さまざまなイタリアの各都市にも「広場」が多いという共通点があることに気付きました。

一言で広場といってもローマの北西部にあるバチカン市国のサンピエトロ広場は宗教的な広場、フィレンツェのヴェッキオ宮殿前(共和国時代の政庁舎)のシニョリーア広場は政治的な市民の集会場広場など、その場所によって主要用途が違います。

このヨーロッパの広場のことを調べてみると、始まりは古代ローマ都市のフォルムや古代ギリシアのアゴラとされています。都市部には住居が密集するので、広い空間を確保するためにアゴラやフォルムといった広場が計画的に設置されました。広場は市民の生活の核となり、集会場などコミュニケーションの中心の場となりました。その後、市場などがたち、商業施設としての市場広場へ、また宗教の広まりと共に、広場の前面に教会を配置した宗教広場へと発展していきました。

このヨーロッパの広場のような、都市住民の集まる広場的場所は、沖縄でも都市計画法などに基づいた広場(公園広場等)などで見ることはできますが、沖縄固有の広場的空間が昔からあったのか、庶民の生活の場である集落の規模で調べてみることにしました。

沖縄のほとんどの集落には、神聖な領域である御嶽があります。集落に住む庶民の精神的な拠り所であり、集落を守護する聖域として祭祀の中心となる空間でした。また、その前には広場が置かれることが多かったようで、広場内には神アシャギと呼ばれる祭祀用の建築物が置かれている地域もあります。この広場は主に祭祀を行う場で、他に神遊び(神歌等を謡い舞った)を行った場から、遊びや村芝居をする場所であった、あしびなー(遊び庭)などの広場があり、この広場は人々のコミュニケーションの場としても活用されてたと思われます。

ヨーロッパと沖縄では広場の成り立ちや規模も違いますが、人が集まり、生活する場所には、信仰、生活なども含んだ、このような広場(空間)が遠い異国の都市にも共通して存在し、コミュニケーションの場の重要性が、この広場から分かりました。

現在、コミュニケーションのための空間を指し示すものは、インターネット上の仮想空間は別とすれば曖昧にみえますが、ここ沖縄では、先日、宜野湾海浜公園で行われた普天間基地のオスプレイ配備に反対する県民大会に集まった人々のように、コミュニケーション【この場合は意思表示とするならば】を確認する場となり、他には私の住んでいる近くの公民館前広場で、エイサー踊りを毎日、練習している地域住民を見ていると、広場を最大限活用しいるのを感じました。このような広場(空間)は、我々には必要な空間として受け継がれていることを実感しました。